ひとりぼっちは因果応報?! もっとも忘れがちな「人生のパートナー」を孤独にさせてない?
どーも、グラーモです。
このコラムは「ひとりぼっち」がイヤでイヤでしょうがないヒトにむけて書いていきます。
因果応報・いんがおうほう
「良いことをすれば良い報いが、悪いことをすれば悪い報いがある」という ことわざですけど、今あなたが「ひとりぼっち」でいるのって、人生のパートナーにしてきたことの報いかもね?という話です。
興味があればお読みください。
人間はしょせん ひとりなの?
「赤ちゃんで産まれてくるときも一人、死ぬときも一人なんだから、孤独やひとりぼっちに負けないで!」などと言われると、「そういうもんかなぁ」と納得するヒト いそうですけど、グラーモはそう思いません。
あなた、ひとりで勝手に生まれてきました?
「人間なんて しょせん一人なんだよ」と考えてるヒトって、きっと「横の関係」を強くみているんでしょう。
「今の自分と友人」「今の自分と両親」「今の自分と彼女」というぐあいです。まあ、目にみえる人間関係なので、重視して当然ともいえますけど (#^.^#)
グラーモは逆に「縦の関係」を強くみています。
- 横の関係…現時点の自分の人間関係
- 縦の関係…過去から未来に流れている自分の人間関係
グラーモは「縦の関係」重視ですので、どうしても両親の存在を無視できないのです。だって、この2人がいなかったら、自分はいないわけですし。
「縦の関係」で考えると、「人間はしょせん ひとり」とは とうてい思えないんですよね。
ちなみに、グラーモは両親と仲が良いわけではありません。むしろ良くない期間のほうが長いくらいです。それでも、自分に関係のある大切な家族なんです。
タイトルの答えを書いてしまうと、
もっとも忘れがちな「人生のパートナー」= 家族
もちろん家族だからといって、うまくいかないケースもあります。縁を切ってしまったヒトもいるでしょう。まったく自分が悪くなかったのかもしれません。
それでもやっぱり、
家族は他人ではないんですよ
関係が良くても悪くても家族は「人生のパートナー」です。その事実からは逃れられないでしょ。
グラーモのまわりにも「好きでこの家族に生まれてきたんじゃないよ!」と反論するヒトいましたけど、たいてい、家族全員にではなく、
ある特定の1人 (例えば、父親)に怒ってるケースが多いのです。
そんなときには次のように聞くんです。「おじいちゃんや おばあちゃんはキライじゃないんでしょ?」と。 ほとんどが「まあ、そうだね」と返ってきます。
そのおじいちゃんおばあちゃんも家族だからね!
100人のおじいちゃんと100人のおばあちゃん
核家族が当たりまえになって、気づけないのかもしれませんけど、離れて暮らしていても、おじいちゃんおばあちゃんは家族です。
さらにその上のおじいちゃんおばあちゃんも、会ったことなくても家族。そのおばあちゃんいなかったら、あなたもいないですから。
ヤフー知恵袋『ご先祖様を10代、20代辿ると何人になるの?』
このように、先祖がまったくダブらない条件下では 簡単に1000人を超えてしまうのです。あなたひとりのためだけに1000人ですよ!
実際には、先祖のどこか (4~6代前とか、いかにもつながってそう…笑)でおじいちゃんおばあちゃんが一緒になってるでしょうから、
現実的なところで、江戸時代から現在まで300年として、少なめに100人のおじいちゃんと100人のおばあちゃんがいたことにしましょう。これは事実ですよ ^^
江戸時代からの「大きなククリ」でみると、あなたは少なくとも200人の大家族に所属しています (みんな亡くなってるけどね)。
その流れの中に、あなたも加わっているのです。200人もいれば1人くらい (例えば 父親)、馬が合わないヒトいるでしょう・・
好き嫌いにかかわらず 家族
と、グラーモには 許せちゃったんですよね。これも「縦の関係」で考えられたからだと、今となってはわかります。あなたもきっと納得できますよ。
少なくとも200人のおじいちゃんおばあちゃんの大半は、あなたが生まれることを望んでいます。あなたの存在を喜んでいます。
「結婚してない」とか「高学歴じゃない」とか「ブサイクだ」とか「賢くない」とかは、関係なしに喜んでくれてるハズなんです。
だから、
そんな家族の一員として、好き嫌いだけで家族のだれかを孤独にさせてはいけないと考えているのです。
200人の大家族が見守っています。自分のちっぽけなプライドで、悪いほうの因果応報がまわりはじめてる気しませんか?
家族 (人生のパートナー)を孤独にさせてはいけない

シャムコ

グラーモ
自分の家族も幸せにできない人間が他人の~、と言うけれど
「自分の家族も幸せにできない人間が、他人のことを幸せにできるわけがない」という一文、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
初めて聞いたときは「なるほど!」と感じつつ、深く考えてみると「そうでもないかも」と思えたり。
一つ例をあげますけど、「幸せ」をお金 (経済)優先でみる場合には、家族を大事にする人間より、社会を大事にする政治家や大企業の社長のほうが、世の中のヒトをたくさん幸せにしているとも言えるわけです。
つまり、
ヒトそれぞれの「幸せ」の定義によって聞こえ方が変わる一文なんですね。
「幸せ」は与えられない。。それは受け手が決めること
さらに「幸せ」のやっかいな点は、それを与えることができない点です。あくまでも、こちら側が幸せだと定義している「幸せ」を与えているだけですから。
どれだけあなたが、毎月100万円あげた (貢いだ?笑)としても、これ以上ない愛情を注いだとしても、相手 (受け手)が「幸せ」かどうかは別なんです。だから、都会を求めて上京するヒトもいれば 高知の田舎を目指すヒトもいる ^^
「幸せにする」は保証できないけど「大切にする」ことはできる!
「家族を絶対しあわせにするぞー」っていうお父さんをグラーモはまったく否定しません。リーダーシップをとって家族を引っ張っていく姿勢は むしろ好感がもてます。けれども「保証はできないよね」というだけです、相手があることですから。
グラーモがここで提案したいのは、確実性の高いムリのない人間関係です。
家族 (人生のパートナー)を大切にする
家族を「大切にする」のはこちら側の都合ですから、相手には まったく関係のない話です。あなたがそう思えば、確実に「大切にする」を実行できます。ムリがありません。
ということで、
グラーモは次のように一文を差しかえることにしました。
「自分の家族も大切にできない人間が、他人のことを大切にできるわけがない」
家族 (人生のパートナー)を大切にする

シャムコ

グラーモ
「大切にする」って簡単じゃない。エネルギーいるよ
家族を「大切にする」って、こちら側からの一方通行ですから、自分がただ大切にすればいいことになります。でもそれが、とても簡単そうにみえて じつにエネルギーを使う行動なのです。
「大切にする」はココロの部分が大きいのは確かですけど、やはり行動が伴わないと「大切にする」をやりきったとはいえないのです。試してみるとわかりますけど、かならず行動で表さないと不自然な場面に出くわします。
「道に迷うかもしれないから駅まで迎えにいこうかな?」とか「1ヵ月連絡ないけど、無事かな (生きてるかな…笑)、電話しようかな?」とか「時間を合わせて一緒に食事でもするか」とか「明日は〇〇の誕生日だから何か買っておこうかな?」などなど。
相手は気づかなくても、自分自身が気づいてしまうんです、大切にしているかどうかに。なにしろ好き嫌い関係なく家族を「大切にする」んですからタイヘンです。
だからグラーモは「大切にする」って相当なエネルギーがいるものだと はじめから覚悟しちゃってます。
ちょっと重たくなりましたけど、
でもコレ 慣れますから 笑!
何かのスキルと一緒です。始めはとても苦痛なんですけど、できるようになると毎日のハミガキと変わりません。学校で「大切にする3級」とか「大切にする2級」とか教えてくれてたら、誰でも習得してたでしょうね。
各家庭に任されているスキルなので、できるヒトとできないヒトの差が激しいスキルだとグラーモは感じてます。ちなみに、結婚して子育てをすると誰でも半強制的に習得するでしょうけどね (#^.^#)
上の「行動であらわさないと不自然な場面」の例を見直してみてください。すべて「こどもに対する親の行動」に置きかえられますから。
よく聞くでしょ。子育てタイヘンって ^^ 自分の子供を「大切」にするのでも「タイヘン」なんです。
「大切にされた」ヒトには伝わるモノがある
photo credit: Family portrait! via photopin (license)
できないヒトには「子育てするまでずっとできない」かもしれないスキル。
でも、強い覚悟をもって家族 (人生のパートナー)を「大切にする」ならば、それは必ず相手に伝わります。
家族によっては、照れくさくて直接「ありがとう」などの言葉を聞けないかもしれません。けれども、そのココロは届いています。いいじゃないですか、見返りをもとめなくたって。
あなたが「大切にする」ことを日課だと思って続けていれば、いつのまにかステキな男性にレベルアップしているのですから。
「大切にする」経験を少しずつ、ほかのヒトにも おすそわけ
「レベルアップ?」と思ったあなた。そうです、レベルアップです。
ヒトは多かれ少なかれ外面 (そとづら)がいいものです。ご近所で評判のお父さんも、家庭内では家族から信頼されず会話もない、なんてことはよくある話。でも、
家族を「大切にしてきた」あなたは違います!
好き嫌いなく家族を「大切にする」あなたは、すでにレベルが違うのです 笑。
その積み重ねてきた経験から「自分の家族も大切にできない人間が、他人のことを大切にできるわけないじゃーん」と声を大にして言えてしまうでしょ。
と、ちょっと大きくでましたけど大体そうです。「大切にする」経験をいかして「ひとりずつ 少しずつ、ほかのヒトを大切にする」ことも始めればいいのです。
なにもムリする必要ありません。「一緒にいたいなぁ」とおもえる誰かがあらわれたらで構わないんですから。
「大切にする」を ほかのヒトにも少しずつね
「大切にする」ことから 廻 (まわ)りだす、因果応報
因果応報・いんがおうほう
「良いことをすれば良い報いが、悪いことをすれば悪い報いがある」
直接的にも間接的にも「ひとりぼっち」なんて、ありえない
このコラムは「ひとりぼっち」がイヤでイヤでしょうがないヒトにむけて書いてきましたけど、ここまで読まれたあなたなら、「ひとりぼっち」は自分の行動のあり方一つで変えられることを理解できたと思います。
自分の一番身近にいる家族 (人生のパートナー)を「大切にする」ことは、結果として自分を鍛えることになって、ほかのヒトを「大切にできる」本物のチカラがつくことになります。
そして、本物は相手のココロに届きます。不器用でも伝わります。
きっと、そんなあなたに魅力を感じた誰かが、あなたの孤独をまるごと取り去ってしまうでしょう。自分のおこないが間接的に誰かの目にとまることってホントあります。というか大人はみんなソコをみてるでしょ、普段の本当のス・ガ・タをね
えっ、それでも誰も寄ってこないですか? 笑
でも あなたには本物のチカラがついてるじゃないですか? 間接的に因果応報がまわってくるのは ゆっくり待ちましょう。
あせらなくても、日々の「家族を大切にする」おこないによって、直接的にはもう家族があなたをほっておけないハズなんですから。
だから「ひとりぼっち」は、ありえない
こんなぐあいで、しめさせていただきます。